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はじめまして、北海道在住・無名画家の寺野彬秀です

  • 執筆者の写真: 寺野彬秀
    寺野彬秀
  • 2024年10月31日
  • 読了時間: 7分

更新日:2月18日

はじめまして。この記事をご覧いただき、心から感謝いたします。私は1980年生まれ、北海道に暮らす無名の画家、寺野彬秀(てらの あきひで)と申します。まだ世間から大きく注目されているわけではありませんが、画家としての活動を始めてから5年が経ちました。これまでの道のりや、北海道ならではの風景、そして出張サービスという形態で絵を描くことについて、私自身が日々感じていることをお伝えしたいと思います。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


画家への道を歩み始めたきっかけ

 私が画家を志したのは、30代半ばを迎えた頃でした。幼い頃から絵を描くことは好きだったのですが、いわゆる「美大」や「芸術大学」への進学はしていません。その代わり、高校卒業後は地元の企業に就職し、営業職などを転々としました。日常生活の糧を得るためには、安定収入が欠かせない。しかし心のどこかでは「本当に自分がやりたいことは何なのか」と常に問い続けていたように思います。


 そんな私が一念発起して筆を持ったのは、あるとき出会った一枚の絵がきっかけでした。地元で開かれていた小さなアートフェアで、その画家さんの作品がやけに心に響いたのです。「この人は、色を使ってこんなにも広い世界を描いているんだ。自分もこんなふうに、誰かの心に何かを届ける絵を描けるようになりたい」。そう強く感じた瞬間、私の中でくすぶり続けていた“絵を描く喜び”に火がつきました。


 最初は独学で少しずつ描き始めました。とはいえ、絵の基本的な描き方や技法を全く知らないわけではありません。学生時代は美術部に在籍しており、顧問の先生からはデッサンや水彩の基礎を教えてもらった経験があります。しかし、本格的に“画家”として生きるには、私が当時身につけていた知識やスキルはあまりにも乏しく、壁にぶつかることも少なくありませんでした。


北海道だからこそ見える風景とインスピレーション

 北海道に暮らしていると、四季の変化の大きさにいつも驚かされます。冬は長く、どこまでも続く白銀の世界。そして春先には、雪解け水が大地を潤し、初夏には広大な緑が勢いを増していく。秋になると、一気に駆け足で色づいていく紅葉が人々の目を奪います。


 この自然環境は、絵を描く上での大きなインスピレーション源です。実際、私が描く作品の多くは、北海道の風景や季節感をモチーフにしたものが多いです。特に冬の雪景色は、私にとって格別な存在です。雪が積もると、一見すべてが同じ白色に覆われるように感じますが、よく見ると光の当たり方や影の生まれ方によって、実に豊かな色彩が隠れていることに気づかされます。


 この“白”の表現を追求しようとするとき、自分の色彩感覚や筆運びが大きく試されます。ただの単調な白ではなく、やさしくきらめく白や、どこか青味を帯びた冷たい白、一瞬ピンクが混じるような朝焼けの白など、様々なトーンがあります。そういった微妙な色合いをキャンバス上に再現しようとする過程が、私にとっての創作の喜びでもあり、苦しみでもあるのです。


“無名”画家であることの意味

 私はまだ無名の画家です。自分の名が冠された大きな個展を開いたこともありませんし、高価な作品がギャラリーで飛ぶように売れた、という実績もありません。時には「本当にこのまま画家を続けて、食べていくことはできるのだろうか」と不安に駆られることもあります。


 それでも私が“無名”であることを受け入れ、なおかつその立場をある程度楽しめているのは、純粋に絵を描く行為そのものに魅了されているからだと思います。もちろん、将来的にはより多くの人に作品を見てもらいたいし、絵で収入を得られるようになりたいという気持ちはあります。ですが今は、いわば“見習い期間”のような感覚で、技術的にも精神的にも、自分を育てる時期だと感じているのです。


 無名だからこそ、自由に描きたいものを描けるというメリットもあると考えています。誰かに求められるイメージに縛られることなく、自分が「これを表現したい」と強く思うテーマを追求できるのは、とても贅沢なことではないでしょうか。


出張サービスという挑戦

 私がこの5年間で力を入れているのは、“出張サービス”という形態での制作活動です。これは、依頼者の元へ実際に足を運んで、その場で絵を描いたり、数日にわたってじっくりと作品を仕上げたりするサービスです。まるで昔の肖像画家が、貴族の屋敷に赴いて絵を描くようなイメージですね。


 出張サービスを始めたきっかけは、私自身が人と直接対話しながら描きたいと強く思ったからです。依頼者の方が住んでいる空間、そこに流れる空気や匂い、人の体温や声色などを肌で感じながら制作をすると、まるでキャンバスがその場の記憶を取り込み、私と依頼者の共同作業のような作品が生まれます。


 出張先では、道外の都市部にも出向くことがあります。昨年は、関西や東北での制作依頼も受け、各地を転々としました。移動は大変ですが、その地域ごとに異なる風土や人柄に触れることで、新たな刺激を受けられるのはとても貴重な経験です。その体験のすべてが、自分の絵の表現の幅を広げる糧になっていると感じます。


5年目を迎えて見えたもの

 画家として歩み始めて5年。まだまだ駆け出しではありますが、この節目を迎えたことで、あらためて自分の軌跡を振り返る機会が増えました。最初は筆の使い方や画材選びも手探りでしたし、一枚一枚の作品に何日もかかることもざらでした。しかし今では、ある程度自分の中での「描き方のパターン」や「インスピレーションの引き出し方」といったものが確立されつつあります。


 もちろん、思うように作品が仕上がらないことは今でもしょっちゅうあります。その度に自分の実力のなさを痛感し、焦りや落ち込みを覚えることもあります。しかし、一方で5年前の自分と今の自分を比べると、「表現力が確実に成長している」という実感が少しずつ湧いてくるのも事実です。


 私が描く絵は、決して派手さや奇抜さを狙ったものではありません。むしろ、北海道の自然や人々の日常に寄り添うような、やわらかいタッチを志向しています。けれども、その中にも自分なりの色彩や陰影のこだわりを込めたい。そうした地道な積み重ねが、無名画家としての私のオリジナリティを育んでくれるのではないかと思っています。


これからの展望と夢

 将来的には、私の作品をさらに多くの人に届けたいと考えています。具体的には、小さなギャラリーやカフェを巡回しながら個展を開き、自分の絵を気軽に見てもらえる機会を作りたいと思っています。特に地方都市や過疎地など、なかなか美術館やギャラリーに行く機会が少ない地域の方々にこそ、私の絵を楽しんでもらいたいのです。


 また、出張サービスを続けていく中で、海外からの依頼も受けられるようになれば、と夢見ています。今はまだ言語の壁や渡航費など、現実的なハードルが山積みですが、世界中どこに行っても“描きたい”という気持ちは同じはず。もし海外での出張制作を実現できたら、自分にとっても大きな飛躍になるでしょう。


 さらに、地元の子どもたちや若い世代に向けたワークショップなどにも興味があります。私自身、学生時代に所属していた美術部の顧問の先生がきっかけで絵に目覚めました。あのとき、先生が「君には色彩感覚があるね」と声をかけてくれなかったら、今の私はいなかったかもしれません。絵を描く楽しさや、その可能性を伝える場を作ることが、将来のアート界や地域社会にとっても意味のあることだと信じています。


最後に

 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。私はまだまだ無名の画家ではありますが、この5年で積み重ねてきた経験や努力は、すべてが私の血肉となっていると感じます。北海道の雄大な自然から得られるインスピレーション、出張サービスを通じて人とのつながりを深める喜び、そして無名だからこそ自由に表現できる喜び――これらを大切にしながら、これからも筆を握り続けたいと思います。


 もし私の作品や活動に興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。北海道に根を張りながらも、全国各地、あるいは世界中へ飛び出して、私自身の絵を通して人々に“何か”を感じてもらいたい。その“何か”が、私にとってのアートであり、画家として生きる意味なのです。


 本記事が、私という無名画家の存在を少しでも身近に感じていただくきっかけになれば嬉しいです。そして同時に、皆さんにとっての“やりたいこと”や“本当に描きたいもの”を見つめ直すヒントにもなれば幸いです。


 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 執筆者:寺野彬秀

© 2025 寺野彬秀

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